学校長より
 
 
2018年9月学校だより
 
長 田所 泰久  
 
 

「わが母校」

 

母校――出身校のことを言います。私の母校、中学校は開校50周年を終え、地域の伝統校となっているようです。卒業後に訪れたことは、進学先の高校からの書類を母校に届ける用事のたった1回です。「懐かしい…」と言うより、緊張して正門をくぐったことを覚えています。
  時折、母校のまわりを通過するときがありますが、正門付近で指導されている先生の姿を見たり、声を聴いたりすると、背筋がぴっと伸びるような気がします。
 
さて、今回の本題は、私の出身小学校のことです。人口急増地域であったこともあり入学したときは、1学年7クラスでした。2年経ち、小学校3年生に進級するときに、2校に分離しました。さらに2年経って、小学校5年生に進級するときに、また分離したものです。小学校卒業時には、1学年3クラスでした。
 ところが、中学校の数は変わっていなかったところから、分離した小学生が一気に集まり、1学年12クラスになりました。中学3年のときには全校で40クラスと、県内で2番目に大きい中学校だと言われていました(ちなみに、県内で一番大きかったのは、隣の中学校でした)。

その出身小学校が、約10年前に廃校になりました。子どもの人口減が影響し、各学年1クラスになったためだと思われます。私が小学生のとき分離した学校と統合し、名前を変えて新しい学校としてスタートしました。廃校になる直前、埼玉県の理科教員の集まりで、たまたま隣席に座られた方が、母校の校長先生でした。ちょっとした休み時間に、当時の思い出話をできました。
  出身中学校もそうですが、出身小学校にも、卒業後足を運んだことは、たった1回です。しかし、廃校になることを伺ったとき、何とも言えないさみしい気持ちがこみ上げてきました。自分の胸の中で、何か大切なものが失われてしまったような気がします。
 本校、上大久保中学校は、1980年に新しい息吹をあげました。今年度で39年目になります。母校が母校として、そこに存在するありがたさは、中学生の皆さんには、あまり実感できないことかもしれません。しかし、校舎や校庭、体育館、それぞれの場所で、先輩たちが生活してきた足跡が確かにそこにはあるのです。やがて、中学生の皆さんが卒業した後でも、そこにそのまま存在し続けていくのです。母校が、どういう思いで創られたのか…、さまざまな方の汗や思いがいっぱいつまった校舎を見ながら、少し考えてみませんか…。母校がすでに存在しなくなった思いをもつ一人の人間からのメッセージです。





・グランドデザイン

・学校教育目標
「温かい学校 感動あふれる学校」

・目指す学校像
○時を守る ○場を清める ○礼を尽くす

学校だより  4月 5月 6月 7月 7月A 9月 10月 11月 12月 1月 2月 3月 最終号


         
「子どもの無限の可能性を求め、実践する学校」を目指して
共に高め合おう 創ろう感動体験 〜花と緑 潤いのある学校〜